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(13) 乙川医師は、平成10年11月4日に太郎の診察を始めてから同月16日の本件抜管に至るまで、太郎の余命について診断を下したという形跡はなく、抜管をしない場合の余命については、1週間になるか、二、三週間になるのか、場合によっては1か月以上かもしれないという見解であって、余命についての確固たる見通しは持っていなかった。
骨盤 ベルト / レッドカード メンズ / エステ 体験イ 証拠(甲28の11枚目~14枚目,甲31)及び弁論の全趣旨によれば,控訴人は,平成16年1月から症状固定日である平成17年7月27日まで,計8回,高知医大病院で診察,治療を受け,1回当たりの通院費として2420円を要したことが認められるから,その総額は1万9360円となる。
キッズ レインハット / ストライダー / プラズマクラスター / ストライダー 安い高裁判決は、乙川医師の本件抜管に関する情状として、余命も正確に分からない状況の下で抜管に及んだことは早きに失したというほかないこと、やや割り切りすぎると評される乙川医師の生命観の下に太郎の家族をあきらめの方向に誘導した嫌いもあり、同家族の抜管要請を受けると直ちに乙川医師一人で抜管を決定したことは慎重さを欠いていたといわざるを得ないこと、平成10年11月16日の時点で抜管を行うことが、太郎とその家族が置かれた困難な状況を解決する最良ないしは唯一の策とはいえない以上、乙川医師一人で決めたことについては、非難されてもやむを得ないこと、花子ら家族は、長い間の太郎の主治医であった乙川医師の言葉を信頼し、その判断を最大限尊重していたのであって、乙川医師が示唆する措置についてあえて反対することはなかなか困難であったといわざるを得ないこと、殊に、花子は、一家の正に大黒柱である太郎がにわかに倒れ、意識を回復することなく、病床に横たわる姿を見て、太郎にそれまで頼り切っていただけに、その受けた精神的な苦悩は部外者が想像する以上のものであったといえること、乙川医師から「再挿管しないで、自然にみていくという方法も考えられます。ご家族で検討しておいてください。」とか「昔は、ずっと最期まで診てあげることもできたのに、今の医療制度ではそれは難しくなりました。病状が安定すれば、意識障害というだけで、いつまでも病院に置いてあげるわけにはいかないんですよ。」などと言われれば、太郎の家族としてあきらめざるを得ない心境にもなること、太郎の家族からの要請があったかどうかという場面に限らず、それに至る経緯を見れば、同家族の最終的判断もやむを得ないものであって、この一場面のみをとらえて同家族にも責任があるようなことをいうべきではないこと、乙川医師としても、そのような太郎の家族の心情に対するより慎重な配慮に欠けていたように思われること、全体としての推移をみれば、太郎の家族側のイニシアティブではなく、乙川医師のそれによって事態が進行していたといわざるを得ないこと、尊厳死が絡む終末医療においては、医師には患者の家族の心情を十分に酌む姿勢が何より求められるのであって、少しでも医師が独走すれば、家族はこれを引き留めるのが困難であり、見方によっては、医師の思うがままにもなりかねないこと、乙川医師が太郎の家族からの要請があったと理解しても、なおその意向を再確認し、さらに他の医師にも相談すべきであって、独断で抜管を決意したことは、結果的に患者を軽視したといわれても致し方ないというべきであることなどを説示した。
三輪車 おすすめ / レペット バレエシューズ / 骨盤 クッションそうだとすると,本件において,人工肛門閉鎖術に伴う具体的な危険性の有無及び程度の如何により,控訴人に人工肛門閉鎖術の施術を受けることを強いることが酷であると医学的にも法的にも評価できると認められる場合には,控訴人が同施術を受けることにより,自己の肛門で自然排便し,快適な日常生活を送るということが確定的にできなくなり,人工肛門を装着した状態であることが最終的に確定するから,もはや「傷病に対して行われる医学上一般に承認された治療方法をもってしても,その効果が期待し得ない状態であって,かつ残存する症状が自然的経過によって到達すると認められる最終の状態に達したとき」に当たるとして,症状固定したものと認めるのが相当である。