本ブログでは、
残業代請求に関する裁判例を紹介しています(つづき)。
第三 当裁判所の判断
一 本件各争点を判断する前提となる事実関係として、前記第二の二1の事実、次に掲げる争いのない事実、証拠(〈証拠・人証略〉、原告本人(ただし、次の認定に反する部分を除く。))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
1 被告は上下水道管工事の設計、施行(ママ)及び請負などを業とする会社であるが、原告が従事していた業務は東京都水道局が発注する水道本管埋設工事及びこれに付随する工事であり、必然的に深夜にわたる工事となることが多かった(争いがない。)。水道本管埋設工事及びこれに付随する工事は道路使用を規制する態様で行われるものであることから、午後八時ないしは九時ころから開始されることもないではないが、その多くは午後一〇時すぎころから開始された(〈証拠・人証略〉、原告本人)。原告が従事した工事現場は、平成七年一月が雷内水道作業所、同年三月が荒川水道作業所、同年五月が蔵前水道作業所、同年六月ないし同年一二月が外神田水道作業所、荒川水道作業所、平成八年一月ないし同年一二月が竜泉作業所、東尾久作業所、赤羽水水(ママ)道作業所、竜泉作業所であった(争いがない。)。
2 被告で就労する従業員は全員毎日被告の肩書住所地に所在する被告の寮からバスに乗って工事現場まで行き、作業が終了すると、バスに乗って寮に帰っていた。工事現場によって従業員を乗せるバスの数は異なるが、少なくとも二台以上は出ており、そのうち一台が資材置場(埼玉県八潮市所在の被告の元請け会社である勝村建設株式会社の資材置場)に寄って当日必要な材料、保安器、必要車両などをそろえて工事現場に行き、帰りに右の資材置場に寄って後片付けを行ってから寮に帰るということがあったが、資材置場には毎日寄っていたわけではなく、必要なときに寄っていただけであった(〈証拠・人証略〉、原告本人)。
3 被告で就労する従業員は班ごとに分かれており、所属する班の従業員の出勤状況や時間外勤務(残業)時間(いわゆる残業時間)数についてはその斑(ママ)に所属する従業員の誰かが出勤簿と題する書面(〈証拠略〉)に毎日記載し、これを被告に提出し、被告はこれに基づいて斑(ママ)ごとに従業員の出勤状況や時間外勤務(残業)時間数を記載した出勤簿と題する書面(〈証拠略〉)を作成して従業員の出勤状況や時間外勤務(残業)時間数を把握していた。原告の所属する斑(ママ)の従業員の出勤の状況や時間外勤務(残業)時間数を記載した出勤簿と題する書面(〈証拠略〉)を作成したのは平成七年一〇月までは原告であった(〈証拠・人証略〉、原告本人)。被告で就労する従業員の勤務時間は、被告の就業規則(〈証拠略〉)によれば、昼間作業は午前八時から午後五時まで、夜間作業は午後八時から翌日の午前五時までとされているが、夜間作業については前記第三の一1のような理由で午後八時から工事現場で作業を開始することができないことが多かった(〈証拠・人証略〉、原告本人)。出勤簿と題する書面(〈証拠略〉の平成七年一〇月の分)では昼間作業の従事した日数は「出勤」欄に記載し、夜間作業に従事した日数は「早出」欄に記載し、時間外勤務(残業)時間数は、例えば一時間であれば、出勤した日の欄に押された出の上に「1H」と記載した上で「残業」欄に総時間外勤務(残業)時間数を記載していた(〈証拠略〉の平成七年一〇月の分)が、必ずしも右のような記載方法に統一されていたわけではなかった(〈証拠略〉)。また、被告で就労する従業員は昼間作業に引き続いて夜間作業に従事することもあったが、その場合、昼間作業に引き続いて行われた夜間作業が就業規則で定められた終了時間である翌日の午前五時まで行われたとすると、休憩時間一時間を除いた時間外勤務(残業)時間数は一一時間になるが、昼間作業に引き続いて夜間作業に従事する場合の時間外勤務(残業)時間数は出勤簿と題する書面(〈証拠略〉)の「残業」欄又はその外に時間外勤務(残業)時間数を記載することがある欄には記載されていない(〈証拠略〉、弁論の全趣旨)。出勤簿と題する書面(〈証拠略〉)によると、原告の平成七年一月から平成八年一二月までの時間外勤務(残業)時間数は、平成七年一月が八時間、同年二月が七時間、同年三月が〇時間、同年四月が五時間、同年五月が二時間、同年六月が七時間、同年七月が八時間、同年八月が〇時間、同年九月が四時間、同年一〇月が四時間、同年一一月が〇時間、同年一二月が一時間、平成八年一月が七時間、同年二月が四時間、同年三月が二時間、同年四月が四時間、同年五月が三時間、同年六月が一時間、同年七月が一時間、同年八月が三時間、同年九月が四時間、同年一〇月が二時間、同年一一月が一六時間、同年一二月が八時間である(〈証拠略〉)。また、平成八年一一月の原告の給料支払明細書(〈証拠略〉)には時間外勤務(残業)時間数の記載はないが、所定時間外賃金は金四万八〇〇〇円と記載されており、同年一二月の原告の給料支払明細書(〈証拠略〉)には時間外勤務(残業)時間数は一九時間(欄外の「19H」という記載)、所定時間外賃金は金五万七〇〇〇円と記載されており、平成九年一月の原告の給料支払明細書(〈証拠略〉)には時間外勤務(残業)時間数は二四時間(欄外の「24H」という記載)、所定時間外賃金は金七万二〇〇〇円と記載されており、同年二月の原告の給料支払明細書(〈証拠略〉)には所定時間外賃金は金〇円と記載されており、同年三月の原告の給料支払明細書(〈証拠略〉)には時間外勤務(残業)時間数は二時間(欄外の「2H」という記載)、所定時間外賃金は金六〇〇〇円と記載されている。また、被告の作成に係る原告の賃金台帳(〈証拠略〉)には所定時間外割増賃金(残業代)の欄に平成八年一二月分が金五万七〇〇〇円、平成九年一月分が金七万二〇〇〇円、同年二月分が金〇円、同年三月分が金六〇〇〇円、同年四月分が金〇円と記載されている。なお、被告は原告の賃金が日給月給制であるときは原告の時間外勤務(残業)時間数一時間について金三〇〇〇円を支払うこととしていた(〈証拠・人証略〉)。
4 原告は平成五年一一月初旬ころ被告代表者との間で原告の賃金を月給制とすることを合意し、その翌日に被告代表者の息子で被告の専務取締役である佐藤修との間で月給制の具体的な内容について話し合った(争いがない。)。右の話合いの結果、原告と佐藤修は、被告は原告の月給として金四一万円を支払うこと、被告は毎年七月と一二月にそれぞれ賞与として被告の景気に応じた金額を原告に支払うことを合意したが、右の話合いの際に原告の賃金を月給制とした後も従前どおり時間外賃金を支払うという話は出なかった。原告の賃金が月給制とされていた期間(前記第二の二2)中も原告は時間外勤務(残業)(前記第三の一3)をしていたにもかかわらず、被告は原告の賃金を日給月給制から月給制に切り替えたことを理由にこの時間外勤務(残業)時間(前記第三の一3)について時間外賃金を支払わないことにしたが、原告からはその支払がないことについて格別異議は出なかった。被告は原告に対し平成八年七月及び同年一二月に賞与としてそれぞれ金一〇万円ずつを支払った(〈証拠・人証略〉)。
5 原告は平成九年一月一三日と同月二七日を病気治療のために休むこととし、同年二月一八日に被告の経理担当者に同趣旨を記載したメモを渡して右の二日を有給休暇扱いにするよう話したところ、同年二月二五日に支給された同年一月分の賃金では同年一月一三日及び同月二七日が欠勤扱いとされていた。原告は同年二月一〇日、同月二〇日及び同年三月一七日にも病気治療のために休んだが、いずれも欠勤扱いとされた。被告では月給制の従業員であれ日給月給制の従業員であれ事前に有給休暇の申請があればその取得を認めていたが、有給休暇の申請もなしに休んだ従業員から有給休暇に振り替えてほしいとの要請があっても有給休暇に振り替えるという取扱いはしていなかった(〈証拠・人証略〉、弁論の全趣旨)。
6 被告は仕事がなかったため平成九年三月三一日、同年四月四日、同月九日、同月一二日、同月一四日ないし一九日、同月二一日ないし二三日、同月二五日、同月二六日、同月二八日ないし三〇日に全社的に休業せざるを得なかった(〈証拠・人証略〉、弁論の全趣旨)。
7 原告の賃金は月給制になる前の日給月給制においては昼間作業については一日当たり金一万八〇〇〇円、夜間作業については一日当たり金二万一六〇〇円とされていたが、原告と被告は平成八年一一月以降の日給月給制において昼間作業については一日当たり金一万八〇〇〇円、夜間作業については金二万円とすることを合意した(〈証拠・人証略〉、原告本人)。
8 原告は平成九年五月一二日被告の経理担当者に退職届を提出し、その日から勤務には就かなかった。被告は原告から退職届が提出されたことを受けて原告が退職届を提出した日に退職したものとして取り扱うことにし、原告に対し同年四月分の未払賃金一六万円を取りにくるよう求めたが、原告はこれを取りに来なかった(〈証拠略〉、原告本人、弁論の全趣旨)。
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